それは必要だ。
だけど、そんな暇はない。
もろもろ意見は、時と場面によって違ってくるでしょうけれど。
恕という言葉があります。
意味は、「他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。」というものです。
この漢字は、「如し」と「心」という字で構成されています。
つまり、自分も相手の心の如くなるという流れになります。
そこから、ちょっと考えると、
人の心や体の痛み、苦しみを自分も共有するということ、
深い慈しみの情ということができます。
(ちょっと受け売り)
文明の利器がどんなにりっぱになっても、
とどのつまりは、人付き合い。
目の前にいても、いなくても相手は相手。
ちゃんと考えて・・というより基本は関心を寄せるってことかもね。
そして、考える。
でも、めんどうっちって、なんてかんてや御託を並べてね、
そこんところを避けてね、何とかやり過ごせれてればいいけどね。
それがそうならないんだよね。やっぱ。
世間は、手間で繋がっているということだからさ。